その「慣れ」が怖くもありますが...
そんなコロナ禍の中、昨年11~12月はFIFA Worldcupカタール大会での侍JAPANの活躍が列島を熱くしてくれました。
「三苫の1ミリ」と世界が絶賛したスペイン戦での名アシスト

クロアチア戦に敗れ 泣きじゃくる三苫選手を抱きしめる森保監督

話は変わりますがこれも昨年のこと。
実は、私は、とある大学の研究室に、細やかながら毎年寄付をさせていただいております。
「ご寄付を頂きました証として、研究棟に『ご芳名』の刻印を貼らせていただきたく存じますが、貼らせていただくことにご同意いただけますでしょうか?お手数をおかけしますがご回答を頂きますようよろしくお願いいたします。」との通知をいただきました。


山中教授は来る日も来る日も研究に没頭され、ある日、実験用のマウスのケージを水洗いされていたとき、ふと眼下に目をやると授業が終わり家路に向かう娘さんの姿が目に飛び込んできたそうな。
一向に結果の出ない研究の日々、「山中を皮肉った、じゃまなか(邪魔中)」と云われ、今、マウスのケージを洗っている自分。
あぁ...自分はいったい何をやっているんだろう、と惨めでもあり、情けなくもあり...だったそうな。
財源の関係上、当時の研究員の方々はみなさんが非正規雇用だったそうで、お給料も微々たるものだったそうな。
この方の素晴らしさは、ノーベル賞の報奨金(1億円)で、先ずは、今まで苦労をかけた研究員の方々にまとまったお金を支給されたことにも表れているのではないでしょうか。
「研究者としての最後の期間は自身の研究に注力したいという思いが日に日に強くなっていた」とのお考えにより、昨年3月を以って京都大学ips細胞研究所の所長を退任されましたが、おそらく、大学サイドの要望によるものと思われますが「名誉所長」としてお名前を残されています。
前述しましたようにマウスのケージを洗っておられた際の思い。
そして、ノーベル賞受賞で世界にその名を轟かせた事実。
人の、いえ、人生の浮き沈みって本当にわかりませんよね。
仮に今沈んでいたとしても、それは、やがて浮き上がる日へのステップのための「今」なんだと私は思います。
幸か不幸か、私が生まれてくるとき、神様はマイナス思考というものを持たせてくださいませんでした。
まるで雑記帳ライクな記事ですが最後までご高覧いただき、ありがとうございました。
では、また。
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